【世界遺産】韮山反射炉で学ぶ幕末の製鉄法

韮山反射炉


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2月に訪れた世界遺産・韮山反射炉。1857年(安政4年)に製鉄・大砲製造を目的につくられたこの反射炉は、現物がちゃんと残っているものとしては国内唯一。

(萩にも「萩反射炉」の遺構が残っていて、こちらも同じ世界遺産に指定されています)

国の史跡でもある韮山反射炉まで、伊豆長岡駅から歩いて25分。まだ肌寒い季節ではあったけど、ちょうどいい運動になりました。

今回は行ってみたよ編。ここまでの道のりは別記事に分けてあります。

道のりは1.8kmほど

【世界遺産】韮山反射炉まで伊豆長岡駅から徒歩25分の道のり

2018年5月16日

まずはガイダンスセンター

反射炉の開館時間は9時、閉館は4~9月が17時で10~3月が16時半。

毎月第3水曜日は休館(祝日の場合は翌日)で、入館料は大人500円・小中学生50円(伊豆の国市民は無料)。

江川邸のチケットとセットだと大人700円・小中学生250円で、それぞれ300円・100円お得!

江川邸というのは江川さんのお家で(当たり前か)、この反射炉の建造を主導した韮山代官のお屋敷です。

タッチパネル式券売機

というわけで、到着したらまずガイダンスセンターに入り、チケットを購入。

可能な限り万券を使わないようにしないといけない…

可能な限り万券を使わないようにしないといけない…

いちおう万券・五千円札が使える親切設計ですが、「遠慮願います」と大きく書かれるとそれってどうなの? という思いを抱かざるを得ませんw

とはいえ「万券しかないわ…」という場面も想定されるので、その場合は①ごめんなさいと思いながら万券を入れる②となりの物産館で買い物して崩す、みたいなことになるんでしょうね…。

なお、江川邸とのセット券は有人カウンターで買うように促されています。

展示は充実、深まる学び

中に入っていくと、割としっかりした展示が続きます。

たしかに、反射炉でどうやって鉄をつくるのかって、ちゃんと調べないとふつう知らないよなー。

製鉄の歴史などを詳しく紹介している

製鉄の歴史を詳しく紹介。知らないことだらけだ…

なるほど、熱を効率的に集めるために考え出された構造で、外から見えてる部分のほとんどは煙突なのねw

鉄の塊を炉に入れて、燃料を供給し続けて炉内温度を高める。鉄が溶けてくると傾斜した接地面を流れてきて、それが外に出てくると。

知らなかったよ!

…いや、まぁ、単に自分が物知らずってだけかもしれませんがw

さすが世界遺産といった感じでわかりやすい説明が多く、たいへん勉強になりました。

もちろん現物の史資料も置いてあって、特にそれっぽいのはこれ。

「20ドイムモルチール」、いわゆる臼砲だ

「20ドイムモルチール」、いわゆる臼砲だ

ここ韮山反射炉で造られたもので、1908年(明治41年)に陸軍から韮山村に払い下げられたものだそうです。

Wikipediaより
ドイム(拇)は、オランダの長さの単位で、2.57393636センチメートルに相当する

ということは、だいたい口径が50cmってことね。

これはちゃんと現物。触るなと書いておきながら、ケースとかに入れていないのは好感が持てますw

(いや、もちろん触っちゃダメだよ!)

「臼砲ってなんやねん」ってなる人もいるだろうけど、そこはご安心を!

兵器についての解説もあるので、特段予習の必要はない

兵器についての解説もあるので、特段予習の必要はない

ここらへんの解説もバッチリで、兵器に興味がなくても理解はできるようにちゃんとなってます!

あとは映像シアターみたいなのがあって(係のおじさんがしきりに「もうすぐ始まるから集合!」みたいなことを言って回っていた)、一息つくこともできます。

そしていよいよガイダンスセンターの出口へ。

外に出ると反射炉が目の前に

建物の外に出ると…デデーン!!!

真下から見るとそれなりに迫力がある

真下から見るとそれなりに迫力がある

2つセットが2つで計4炉。高さはおよそ15.7m。

さすがに真下から見上げると首が…。写真も地面から思いっきりあおって…。

この時点では晴れ渡っていて太陽がまぶしく、順光でいける方向にぐるっと回って撮影。

ガイドによる案内を熱心に聞く老人会ご一行様(?)

ガイドによる案内を熱心に聞く老人会ご一行様(?)ら

来場者の年齢層は明らかに高く、家族連れなんかはほとんど見られませんでした。

近くで見なきゃわからない

いろんな方向から写真を撮りまくっているのがちょっぴり恥ずかしかったので、ガイド集団からは少し離れた位置で見学。

灰穴

燃料の石炭の灰を落とすための「灰穴」

鉄を溶かす炉の本体は高さ数メートル程度。実際に使われていた部分については近くで見ないと分からない。

(中に入れたらたぶんもっと面白いと思う)

出湯口

3つある穴のうち一番下「出湯口」はお湯の出口…ではなく、溶けて液状になった鉄の出口だ

この砂利のスペースに鋳型を置いて、溶けた鉄を直接流し込んで大砲などをつくっていたそうです。

出湯口の少し上にある同じように丸い穴は「出滓口」。溶けた鉄の上にたまるカスを排出する穴で、予備の出湯口でもあったとか。

そのさらに上にある四角い穴は「方孔」。中の鉄をかき混ぜたり、味見(?)したりするために使われていました。

現代の技術で立派に復元

炉の近くには碑が建っていて、その前に大きな砲が置いてあります。

「24ポンドカノン砲」

3.5m・3.5tの「24ポンドカノン砲」、これはレプリカだ

江川家家臣の長澤家に伝わる図面から「忠実に再現」し、1998年に木村鋳造所が製造。それまではコンクリート製のレプリカがあったそうです。

建造から160年、地域の誇り

写真を撮りまくっていると、単独で来ていた高齢男性が話しかけてきました。

聞けば近くに住んでいるとのことで、家の整理をしていたら昔の写真が出てきて、懐かしさに導かれるままに訪れたのだそうです。

今も昔も、ずっとそこに

地元の方

「久々に来たけど、昔とほとんど変わらないねぇ」と懐かしむ地元住民の方

撮ってもいいですか? と確認したところ快諾してくれたので、戦後すぐの反射炉の貴重な写真を記録。

この写真は彼が小学校に入ったばかりの頃、学校のイベントで訪れたときのものだという。

昭和30年代の写真

昭和30年ごろの韮山反射炉。右手に見えるのは土産物店、いまの物産館だ

60年以上前に同じ場所で同じように同じものを見ていた人物と共に過ごす時間は、僕にとってタイムスリップしたような不思議な感覚に包まれる経験になりました。

「世界遺産になるなんて考えてもみなかったけど、これで地元が盛り上がるならいいことだね」

地域の人々のすぐそばにあった反射炉は、いまもこの韮山の地に根を下ろしています。

担庵公なくして反射炉なし

彼と別れたあと、物産館の方にまわってみると、例の江川さんの銅像が。

江川坦庵(英龍)像

江川坦庵(英龍)像は反射炉を背景に建てられている

江川英龍は韮山代官の家柄で、1835年(天保6年)に35歳で職を継ぎました。

海防に強い関心を持っていた英龍は長崎で砲術を学び、1842年(天保13年)に江川塾を開き、佐久間象山や橋本佐内、桂小五郎らが入門したそうです。

鉄砲や大砲の原料となる鉄の調達のため、反射炉を計画したのもこの江川英龍。

(それまでの銃砲は青銅でつくられていたので、強度などに問題があった)

黒船来航を機に動き出し、当初は下田で建築が始まりましたたが、後に韮山に計画変更。

下田での着手から4年の時を経て、英龍の息子・英敏が完成させました。

反射炉完成の2年前に死去した英龍は、今も地元で「担庵(たんなん)さん」と呼ばれ慕われているそうです。

物産館のさらに向こうには「展望台」が。急な斜面を登っていくと、広がる茶畑。5分弱歩いてコイン式双眼鏡がある展望台に到着します。

晴れた日には富士山との共演が見られるらしい

晴れた日には富士山との共演が見られるらしい

さっきまで晴れてたのに、この段階では富士山見えず…。ちょっとだけ残念に思いながら、韮山を後にしました。

おまけ:品川台場との縁

海防論者・江川英龍は品川台場の企画者でもありました。

江川英龍は品川台場の企画者でもある

品川台場の計画は江川英龍の業績の中でも主要なものの一つだ

続日本100名城の1つ目として品川台場(124番)に行こうと思っていたところでゆかりの人物に出会い、続100名城制覇へのモチベーションをさらに高めたのでした。

きょうはここまで。

品川台場

品川台場、都会に現れた草木生い茂る要塞

2018年6月13日
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ABOUTこの記事をかいた人

1987年、東京生まれ。コンプリート寸前だった「日本100名城」、30歳にして最初から巡りなおすことに。マスコミで働くかたわら、休みの日にお出かけするのが趣味。いちおう「現場主義」。